ドラマレビューの第二回、今回は松嶋菜々子さんが主演した月9ドラマ『やまとなでしこ』です。
某掲示板では大人気で、「オススメのドラマを教えてくれ!」というスレッドでは必ずと言って良いほど名前が挙がるこのドラマ。
同じく名前がよく挙がる『結婚できない男』はAmazonプライムで視聴して、あまりの面白さに”桑野ロス”になってしまう始末。
すぐに2周目に突入してしまいました。
そのくらい『結婚できない男』は面白かった!(レビューはまた時間がある時にでも!)
その『結婚できない男』と同じくらい某掲示板のオススメとして名前が挙がる『やまとなでしこ』。

一体どのくらい面白いウホ?
期待に胸を膨らませ、ゲオでDVDを借りて視聴しました。

えっ?

あ… うん。

………???
期待が大きかった分、正直期待外れでした。
これが『結婚できない男』と肩を並べるほど面白いか?
このレビューは、そういうスタンスのレビューになります。
※以下、ネタバレ注意。
『やまとなでしこ』とは
『やまとなでしこ』は2000年の第四クールに、月9として放送されたコメディドラマになります。
11回の放送で、最高視聴率は34.2%。
平均視聴率でも26.4%ありました。

今と比べると、全体的に視聴率が高かったウホね。
『やまとなでしこ』のあらすじ
客室乗務員として働く神野桜子(松嶋菜々子)は、「心よりもお金が大事」という信念のもとで、玉の輿に乗るため合コンでより良い相手を探していた。
小さな魚やで働く中原欧介(堤真一)は「お金よりも心が大事」という信念を持っているが、自らの身分を偽って参加した合コンで元カノによく似た神野桜子に出会い、お互いにぶつかり合いながらも惹かれあっていく。
神野桜子の亡き母が言っていた”お金では買えないたった一つのもの”に気付いた時、二人はようやく結ばれる。

こうやって書くと、ありがちな物語ウホね。

“ありがち”や”王道”を、どう見せていくかが脚本の見せ所よね。
『やまとなでしこ』のツッコミどころ
『やまとなでしこ』は2000年のドラマ。
つまり、今から18年も前のドラマです。
なので、色々と時代背景が違いますし、当時とは世間の価値観も変わっているので、多少の違和感は仕方ないと思います。
しかし、”コメディ”であっても

なんじゃこりゃあ!!??
と思う演出も多く、なかなか物語に入っていけませんでした。
登場人物についてのツッコミどころ
神野桜子(松嶋菜々子)
「心よりもお金が大事」と公言しているだけあって、「お金よりも心が大事」という中原欧介とはトコトンぶつかり合います。
潜在意識の中では”お金では買えないたった一つのもの”が気になっているため、欧介の言動で”お金では買えないたった一つのもの”に気付きはじめているが、自分の気持ちに気付かない振りをし、自分の気持ちに蓋をして目を逸らすために、欧介に対して反抗的な態度を取ってしまっています。
自分の家が火事になり、桜子の大切にしていた洋服を取りに行くため欧介が火の海の中に入っていっても、人の命よりも自分の洋服を心配(そもそも何故周りの人は欧介の行為を止めないのか)。
コメディだから許されるけど、現実にいたらタダのイタい人ですね。
最初は不快に思えた桜子の言動も、最後の方には「これでこそ神野桜子だ!」と笑って見られたのは松嶋さんの演技のおかげですね。
中原欧介(堤真一)
作中では「不器用な生き方しかできない優しい人」みたいになっていますが、本当にそうでしょうか?
今風に言えば、ただの”真面目系クズ”じゃないんでしょうか?
「お金よりも心が大切」と言ってはいるものの、結局はお金の力に負けてしまいます(劇中で助かったのは”ドラマを進めるためのご都合”でしかない)。
父親が死んだことをきっかけにマサチューセッツ工科大学への留学を辞めて日本に帰国したはずですが、魚屋の経営状態は倒産寸前。
劇中では、病院の建設用地をめぐる地上げにあい、借金を返済しなければ立ち退きを要求される場面があります。
この場面で銀行への支払いを6カ月分も滞納していることが明らかになるのですが、

ようそれで「お金よりも心が大事」なんて言えるなぁ
と思うわけです。
「お金よりも心が大事」なんてセリフは、お金に困らない生活が出来ている人が言うからこそ、意味がある言葉じゃないですか。
『やまとなでしこ』で言うならば、お金持ちキャラだった東十条司(東幹久)が言ってこそ意味を持つと思うし、少なくとも”お金持ちではないけど貧乏でもないキャラ”が言うべきセリフだと思うんです。
地上げの話が出てくるまでは欧介の家の金銭事情が描かれていなかったので、欧介がいう「お金よりも心が大事」というセリフも

ふーん、キレイゴト言ってますなぁ(ハナホジ)
としか思っていなかったのですが、実際は半年も銀行に支払いを滞納するほど貧乏だったわけで…。
同じセリフであっても、発言した人の背景で意味がまるっきり変わることってありますよね。
中原家(魚春)が多額の借金を抱えていることが判明したことで

「お金よりも心が大事」なんて、タダの貧乏人の負け惜しみやないか!
と思うわけです。
別に借金があるのは構わないんですよ。
私だってもうすぐ住宅ローンというすさまじい借金を抱えるわけですから。
でも、払うことが出来る借金と払えない借金では、話が違ってくると思うのです。
だって、欧介の所は6カ月分も支払いを滞納していて、その分他人に迷惑をかけているんですから。
そんな欧介ですが、劇中の最後では、桜子の言葉で一念発起して書いた数学の論文が認められ、ニューヨークに渡ることになります。

魚屋の借金問題、全く解決してねぇ…

むしろ、あの母親(後述)だけでやっていくなら、もう魚屋は終わりなのでは…
という感じで、”借金を背負った状態”は何も解決せずに終わってしまいます。
欧介がニューヨークで働くことで、魚屋の収入以外にも収入減が出来ることは中原家にとっては良いことだと思うのですが、一緒にニューヨークに渡った桜子の行動を見ていても十分な仕送りは出来ないのではないかと思います。
そもそも、桜子が欧介に惹かれた理由も謎過ぎます。
「お金よりも心が大事」という欧介の言動に、桜子が亡き母の”お金では買えないたった一つのもの”を重ねたからという理屈は分かります。
でも、欧介は真面目だけの人間ではないじゃないですか。
実家の魚屋(魚春)が地上げで廃業に追い込まれそうだった時、欧介がしたことといえば、思いがけない出来事で手に入ったあぶく銭を全て競馬に注ぎ込んだことですよ。
たしかに、得意の数学(笑)を活かして万馬券が当たる確率を導き出したのかもしれませんが、そもそも人生が賭かった状況でイチかバチかの博打に出ること自体が”結婚相手”としてはダメなんだと思うのですが、どうなんでしょう?

欧介の決断もアリエナイと思うのだけれど、それを止めようとしないどころか応援する周りの人間にも問題があると思うウホ。
そもそも、万馬券が当たる確率を数学(笑)で導き出せるなら、経営の傾いている実家の魚屋を数学(笑)でどうにかしろよって思うんですよね。
ニューヨークから帰ってきて何年も経ってるわけなんだから、少なくともまともな経営状態には出来なかったのかなと言いたい。
そして、極めつけは、桜子が欧介をデートに誘って「いつもあなたが行っている所に連れて行って欲しい」という一連の流れで、バッティングセンターに行くのは、まだ分かる。
欧介が野球をしていたなんて描写はなかったけど、野球経験者しかバッティングセンターに行ってはいけないという決まりはないし、確かにストレス解消にはなるだろうから、バッティングセンターに行くのは、まだ分かる。
でもさ。
実質桜子との最初のデートでパチンコはなくない?
いくら「いつもあなたが行っている所に連れて行って欲しい」と言われたとしても、そもそも最初のデートとしてギャンブルを選ぶこと自体が

はぁっ!?
って感じですし、視聴者からすれば

借金背負ってるくせに何でパチンコなんて行ってるんだ!?
と思うわけですよ。

そりゃ、元の恋人からは「あなたとの未来が見えない」って三行半突き付けられますわ。
あれだけパチンコホールが乱立して、設備費や電気代や人件費をかけて、それでもパチンコ産業が廃れないのって、言ってみれば「その分をお客さんから巻き上げているから」ですよね?
確かに中にはパチンコの勝ち分で生計を立てている人もいるかもしれませんが、大半は”養分”になるからこそ、パチンコ産業が成り立っているわけですよね?
こんなことは少し考えれば馬鹿でも分かることですし、マサチューセッツ工科大学で学んだ欧介さん得意の数学(笑)を使えば、パチンコなんてやるべきではないと分かるんじゃないですかね?

もし数学(笑)で「勝てる」という確証を得ているなら、それこそ魚屋の手伝いをやめてパチプロにでもなればいいウホ。

「お金よりも心が大事」というギャンブラーか。

なかなか斬新な設定ではあるわね。
そういうわけで、劇中の欧介は「努力が報われない人」みたいに描かれていますが、「お金よりも心が大事」と言いながらもお金に苦しめられている現状を作っているのは、欧介にも原因があるわけです。
中原富士子(市毛良枝)
前述の中原欧介の母。
夫婦で魚屋『魚春』を経営していたが、夫に先立たれてしまい、以後は留学から帰国した欧介とともに『魚春』を経営していますが、まだ55歳にもかかわらず体調を崩しがちで、欧介の友人が勤める大学病院で入退院を繰り返しています。
この母親、私は『やまとなでしこ』における一番の狂人と思っています。
富士子の考え方は典型的なブラック企業の経営者です。
劇中では、欧介に思いを寄せる塩田若葉(矢田亜希子)が『魚春』を訪れ、自発的にお店を手伝う様子が描かれています。
この描写、制作側としては「献身的に欧介(とその家族)に尽くす若葉」というふうに描きたかったのでしょうが、現代では若葉の姿は”給料の要らない都合の良い奴隷”にしか見えません。
富士子が「今日は若葉ちゃん来ないのかねぇ…」みたいなことをいうシーンがあるのですが、息子をダシにして無報酬で働いてくれる労働力を求めるその姿に戦慄を覚えました。
経営者としての富士子はもちろん最悪ですが、仮に若葉と欧介が結婚すれば、若葉にとって富士子は姑になるわけで、若葉が不幸になるのは目に見えています。
富士子にとって、若葉の存在は奴隷以外の何物でもないのですから。
もう一点、富士子に対して感じた違和感があります。
それは、地上げにより立ち退きを要求された際、6か月分の支払いを猶予してくれている銀行に対して「何で待ってくれないんだ!」と噛みついたことです。
支払いが滞納しているにも関わらず、銀行側が6か月も待ってくれていたのは”銀行側の厚意”に他なりません。
本当ならば、抵当権が設定されている『魚春』については有無を言わさず差し押さえることもできるわけですが、それをしなかったのは先代(亡くなった富士子の夫)との関係に恩義を感じている銀行の温情です。
本来ならば、富士子の立場では銀行に対して「迷惑をかけて申し訳ない」となるべきところを、謝るどころか開き直って「今までだって待っててくれたのに、何でもう待ってくれないのよ!」と噛みつく始末。
「人に甘い顔をすると付けあがる」ということを見事に体現してくれています。
これまでの人生経験上、こういう人種とは関わらないに限ります。

欧介がニューヨークに行ってしまった後、欧介どころか若葉という労働力も失ってしまって、借金まみれの『魚春』の営業は成り立っていかないのでは…?
幸い、あれほど虐げられていた若葉は富士子から逃げることが出来ました。
しかし、これから欧介と結婚するであろう桜子の性格を考えたときに、富士子と折り合いをつけていく未来はどうやっても見えてきません。
その他の人々
どんなに馬鹿にされてもコケにされても桜子の味方でいることを辞めなかった東十条司(東幹久)とか、酒癖の悪さで本当にイライラさせるのが上手だった粕屋紳一郎(筧利夫)とか、最初はいじらしい女性かと思わせておいて実のところ計算高さが見え隠れする塩田若葉(矢田亜希子)とか、『やまとなでしこ』には魅力的な人物がたくさん登場します。

残念ながら、誰にも共感できなかったウホ…
ストーリーについてのツッコミどころ
『やまとなでしこ』というドラマにおいて最も重要なテーマが“お金では買えないたった一つのもの”です。
劇中で”お金では買えないたった一つのもの”が何だったのかは明言されませんでしたが、おそらく人の心とか、愛とか、その類のものと思います。
でも、そんなことって当たり前のことですよね。
人の心や愛はお金では買うことが出来ないなんてことは、それこそ第1話の時点から誰しもが思うことで、最終話(11話)まで話を紡いできたからこその

なるほど! そうきたかーっ!!
というような”答え”があることを期待していたのですが、そういうこともなくドラマは幕を閉じました。
『やまとなでしこ』というドラマは、ちょっとこじらせ系の人が、ごく当たり前のことに気付くだけの物語だったわけです。

本筋を把握するだけなら、1話、10話、11話だけ見れば何とかなる…?
“お金では買えないたった一つのもの”については劇中で深く書かれることはなく、「大切なのは愛かお金か」という二極論が展開されていたのですが、現実的に考えると”お金”が全く必要ないわけではないですよね。
そりゃあね、使い切れないほどのお金なんて必要ないかもしれませんよ。
100億円の資産を持っているけど心を許せる人が一人もいない人(パターンA)と、貯蓄はないけど借金もなく、家族や友人にも恵まれて平凡な生活を送っている人(パターンB)がいた場合、どちらが幸せと思うかというのはその人の価値観によると思います。
しかし、家族や友人には恵まれて充実した毎日を送っているものの、支払いが滞納しがちで一歩間違えば生活の全てが吹き飛んでしまう多額の借金を抱えている人(パターンC)を考えた場合はどうでしょう?
パターンAかBかで迷うことがあっても、パターンCが”幸せ”と考える人はいないのではないでしょうか?
どんなにキレイゴトを言っても、人が生きていくためには最低限のお金は必要なわけです。
“お金では買えないたった一つのもの”を見つけることが出来たとしても、ご飯を食べるお金がなければ、”お金では買えないたった一つのもの”も消えてしまうのです。
劇中で描かれているのは二極論であり、桜子は”お金では買えないたった一つのもの”があればいいという思想がエスカレートして「愛さえあればお金なんて要らない!」という考え方になってしまったように思えます。
欧介はニューヨークで講師として働くようになり、それなりの給料を得ることが出来たのかもしれません。
しかし、欧介が抱えている問題、つまり病弱で店の経営もままならない母親と、多額の借金を抱えて返す見込みのない『魚春』という負債を抱えているということに、桜子だけでなく視聴者も目を背けているのではないでしょうか。
先ほど述べたパターンで言えば、欧介はパターンCに該当する人間です。
友人に恵まれ、充実した毎日を送る(家族に恵まれているとは思えません)。
確かに”お金では買えないたった一つのもの”がそこにはあるかもしれませんが、欧介の充実した生活は”お金がない”という理由によって、自分では如何ともしがたい他人の力によって、簡単に消えてしまうかもしれないのです(実際に地上げにあって消えてしまいそうになりました)
お金によって存続すら脅かされる生活は、”お金では買えないたった一つのもの”と言えるのでしょうか?
私が考えるに、”お金では買えないたった一つのもの”とは「生活に困らないだけのお金がある時に限って見えるもの」だと思います。
人の心や愛を勝ち取るために腐るほどのお金は必要ないかもしれませんが、やはり生活に困らないだけのお金は必要なのです。
人の心や愛は、お金では買えないかもしれません。
しかし、お金がなければ心の余裕だってなくなりますし、せっかく手に入れた人の心や愛だって失ってしまうかもしれません。
愛し合い、「富めるときも、貧しいときも…」と神に誓って結婚したはずの夫婦が、お金のことで喧嘩して夫婦仲が険悪になり、とうとう離婚したという話は誰しもが耳にしたことがあるでしょう。
実際に、私も似たような話を何度も耳にしました。
作中では、「人の心や愛はお金よりも尊い」という結論になっていますが、実際問題、お金がなくては欧介の前に立ちはだかる問題は何も解決しないわけです。
生きていく上では、愛もお金も、どちらも尊いのです。
だからこそ、「心よりもお金が大事」という自分の信念を完全に捨ててしまった桜子が残念に思えるのかもしれません。

桜子は「欧介との20年後の未来は想像できる」と言っていたけど、欧介の母親や自分の父親を含めた未来が本当に想像できているのかな? と疑問に思うウホね。

結局は、本気の恋愛をしたことがない人が、一時の感情の昂りによって周りが見えなくなってしまっているだけなんじゃないかと。

欧介の母親が亡くなって『魚春』の整理をしなければいけなくなった時に、改めて”貧乏”という現実を思い知るのだと思うと可哀想になるウホ。

まぁ、『魚春』の土地を売れば借金は消えてしまうのかもしれないけどね。
『やまとなでしこ』まとめ
そもそも、”やまとなでしこ”とは、日本人女性をナデシコの花に見立てた言葉で、清らかさや美しさを称える言葉です。
ヤマトナデシコの花言葉は、可憐・貞節。
神野桜子が”やまとなでしこ”だったかと訊かれると、ちょっと首をかしげてしまいます。
ちなみに、中国語圏で『やまとなでしこ』が放映された際、タイトルは『大和撫子』ではなく『大和拝金女』だったそうです。
私も、こっちのタイトルの方がピッタリだなと思いました。
ドラマレビューの第1回目はこちら⇒ドラマレビュー:あなたには帰る家がある